騙すことも、奪うことも、私にとってはひどく容易い。人間は脆く、曖昧で、御しやすい。
「おやすみなさい、お友達」
その邸を守る筈の見張りは、鼻先に甘い毒を薫らせながら囁いた私の腕に身を任せた。眠りと魅了の力に逆らえず朦朧としている男にもう一度毒を吸い込ませて完全に昏倒させる……つもりがどうやら絶命したようだ。“甘き死”。眠りの毒を発生させるその術は私が得意とする魔法の一つである。微量であれば魅了に応用できるため、何かと使い勝手がよい。加減に失敗すると今回のように殺してしまうこともあるが、まあ、滅多にない。
夢見るお友達を物陰に隠し、邸の中へ侵入する。恐らくここにも警備の人間はいるだろうが、今のところその気配はない。とりあえず手近な扉を開けてみたが、やはりしんとしている。頭に入れてきた間取り図を思い出しながら先へ進むと、何者かが廊下の向こうからやってくる気配を感じたので角に身を隠した。
欠伸混じりに歩いてくるのは恐らく警備の人間だろう。目の前を通りすぎる瞬間に口を塞いでこちらへ引きずり込み目の前にナイフをちらつかせる。
「大声を出したら殺す、おかしな真似をしても殺す、質問に答えなくても殺す。いいですね」
必死に頷いたのを確認してから口を解放する。警備といっても素人に毛が生えた程度の雰囲気だ、既に戦意は喪失し何の脅威にもならないように見える。その喉をナイフの切っ先でそっと撫でてから優しく訊ねた。
「ご主人様はどこですか」
「あ、あ、アンソニー様ならもうお休みに」
「どこで」
「この先を、右に曲がった、突き当たり……」
「なるほど」
ありがとうございます、と言うと同時に喉を切り裂く。驚愕の表情を貼り付けたままそいつは床に倒れ、しばらくひゅうひゅうと喉を鳴らしていたがすぐに動かなくなった。高級そうな絨毯が血に濡れるが、掃除をするのは私ではないし、気にしない。
更に廊下を進み、目的の部屋に到着する。扉には鍵もかかっておらず――まあ自宅で寝室に鍵をかける者は少ないか――、私は難なく室内へと侵入することが出来た。
ベッドで眠っているのが目的の人物だろう。布団の膨らみは一人分にしては大きく、誰かと同衾しているようだった。まあ、一人も二人も変わらない。大股にベッドへと歩み寄り、布団を剥ぎ取る。びくんと体を震わせ目覚めようとした男の喉笛を切り裂き、その返す刃で隣にいた女の胸を刺した。女の濡れたような黒い目が私を見ていた。
気色が悪い。
気分を害した私は二人とも絶命したことを確認するなりさっさと踵を返した。帰路、別の警護の人間に出くわしたがそれも殺した。とはいえこれ以上殺しが増えるのも面倒だったので、使用人が起きてこなかったのは幸いだった。
邸を出た足で依頼主の元へ向かう。といっても直接の依頼元ではなく、仲介役だ。仕事の速さを褒められたがそんなことはどうでもよく、報酬を受け取り宿へと帰る。月は雲に隠れ、灯りを持ってなお足元が暗くてよく見えない。一通り遠回りして鼠をまいてから帰宅した私は、少量服に飛んでいた血を処理し、それから水を一杯飲んで、自室へ向かうとそのまま泥のように眠った。
次の日、昼前まで眠っていた私を起こしに来たのは仲間の一人で、それが“彼”でないことに落胆しながら私は階下へと向かったが、
「おはよう、ヒースクリフ。仕事がないとはいえあまり遅くまで寝るのは感心できないぞ」
降りてきた私の顔を見るなり少し眉を寄せてそう言ってきた彼の表情が可愛らしくて、すぐに上機嫌になった。今日はいいことがありそうだ。